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太陽の家WEBライブラリー(ベータ版)

太陽の仲間たちよ
タイトル:太陽の仲間たちよ
太陽の家創設者 中村裕著
1975年発行 吉川英治文学賞受賞
賛辞(水上勉):『太陽の家』はことしで創立10周年を迎えたが、省みて思うことは、事業に奮闘してこられた中村博士の縷骨ぶりだ。氏は科学者であると同時に、ロマンチストだというのはかねがね私の判断だったが、今日の同事業の成功を見れば それを疑う人はあるまい。苦労多かった十年の歩みは、氏の夢と真実を語っており、『太陽の家』はつまり氏の人道主義的な情熱によって行きつづけてきたのである。
太陽の家10年のあゆみ
タイトル:太陽の家10年のあゆみ
1975年発行
 「保護より機会を」を理念に1965年に設立された太陽の家。「身障者が税金の消費者から納税者へ」、設立の立役者で作家の水上勉氏でさえ「100年かかろうが実現しなければいけない理想」と語ったが、それを10年で達成した太陽の家の激動の記録。井深大氏、水上勉氏、そしてパラリンピックの父グットマン博士といった偉大な先駆者たちからメッセージが寄せられている。
太陽の家10年の歴史
タイトル:太陽の家10年の歴史
1975年発行
 1966年より太陽の家で働いたある障がいのある人(進行性筋ジストロフィー)により書かれた10周年記念誌。発行時は手書きだったが、アテトーゼ型脳性麻痺の太陽の家利用者により1999年にワープロで打ち直された。
創立15周年記念写真集
タイトル:創立15周年記念写真集
1980年発行
 太陽の家に関連する企業・職員からなる「太陽の家むぎの会」により発行された写真集。踏まれても踏まれても立ち上がってきた多くの「むぎ」たちの15年間の歴史を記録した写真集。
中村裕先生を偲ぶ
タイトル:中村裕先生を偲ぶ
1984年発行
 1984年7月23日、太陽の家創設者中村裕博士が57歳の若さで逝去された。医師、起業家、そして障がいのある人の自立の道標として活動を続けた中村博士の死は多くの人に衝撃を与えた。博士の功績を称え、この本が編纂された。
太陽の家はいま
タイトル:太陽の家はいま
1985年発行
 1984年7月に創設者中村裕が逝去したため、20周年記念事業を実施せず、記念誌の発行も行わなかったが、20年の記録としてこの本は発行された。大分県だけでなく、愛知・京都にも太陽の家の事業所が設立されていた。
創立25周年記念誌
タイトル:創立25周年記念誌
1990年発行
 設立から25年、1,200人を超える大所帯となった太陽の家の歴史、人数の編成データをまとめたもの。
創立30周年記念誌
タイトル:創立30周年記念誌
1995年発行
 1995年、太陽の家の8社目の共同出資会社が設立され、新たな職域で多くの障がいのある人が社員として働く時代に。バブル経済の崩壊、多くのITベンチャーが設立されるなど日本社会にとっても大きな転換期の中、迎えた太陽の家の30年の記録。
創立40周年記念誌
タイトル:創立40周年記念誌
2005年発行
 1999年デイサービスセンターゆうわ開所。2000年創立35周年を記念して太陽の家歴史資料館オープン。2004年、「太陽の家」命名者の水上勉氏逝去。1975年に大分県で開催されたFESPICは、2006年APC(アジアパラリンピック委員会)に合併され、パラスポーツにおいて発展的解消をした。
創立50周年記念誌
タイトル:創立50周年記念誌
2016年発行
 2005年簡易住宅「太陽住宅」を雇用・能力開発機構より購入。2006年サンストア内で手作りパンの販売を始める。2007年関連企業、太陽の家で精神障がいのある人の受入れを開始。2008年愛知事業本部、2009年京都事業本部にそれぞれ福祉ホーム開所。2011年サンストア移転・新築オープン、2012年特別養護老人ホーム「太陽の家広寿苑」開設、本部の本館、第4作業棟竣工。

 設立から半世紀が経ち、1,800人を超える大所帯となった。2015年10月4日、サン・スポーツセンターで行われた創立50周年記念式典には天皇・皇后両陛下(当時)ご臨席し、来賓や利用者、職員等330人が出席した。第2会場のラウンジ・食堂には、ホームカミングデーとして太陽の家や関連企業のOB・OG約400人が参加した。記念コンサートや1985年に埋めたタイムカプセルの開封、記念食事会等を行い、昔話に花が咲き、楽しい時間を過ごした。時代の変化とともに、太陽の家は新しい事業に取組み、共生社会の実現に一歩でも近づけるよう挑戦を続ける。
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