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太陽のなかま
これまでの「太陽のなかま」
 太陽の家には障害を持っている方約1,200人と健常者約500人、合計約1,700人が働き生活しています。
 
太陽の家に集うこれら多くのなかまをご紹介します。

 昭和44年7月24日の入所以来、約38年間にわたり太陽の家に在籍していた第三授産センター(機材科)の宮崎征年さんが5月7日に退所することになりました。創設から4年目の太陽の家に入所して以来、長い間太陽の家を見続けてきた宮崎さんに、太陽の家での思い出や退所にあたっての気持ちを伺いました。

「入所から38年、第三授産センター宮崎征年さんが退所」

第三授産センター 宮崎征年さん

写真 宮崎征年さん

1.太陽の家に入ったきっかけは何ですか?
 当時、実家のある佐賀には障がい者が働く場所がなく、福祉事務所からの紹介で入所しました。住み慣れた故郷を後にするのはとても淋しかったです。
2.入った頃の太陽の家の印象はどうでしたか?
 現在の本館はまだれんこん畑でした。それまで実際に外で働いた経験がなく、戸惑うことが多くて、この先どうなることかと思いやられました。しかし徐々に慣れてくると、自分の力を発揮できることに生き甲斐を感じるようになってきました。
3.これまでにやってきた仕事で、記憶に残っていることはありませんか?
写真 居室前廊下にて 巻き尺制作やマネキン作り、木工科でのやぐらこたつ作り、精機科でのホンダ太陽の仕事などいろんな職場を経験してきました。一番記憶に残っているのは、暖房もない雪の降り込んでくる職場で、木くずの粉まみれになってやぐらこたつ作りに励んだことです。仲間達と一緒に力を合わせて一生懸命働いたことをよく覚えています。今は建物も大きくなり、冷暖房も完備され良くなりましたね。
4.これまでにやってきた趣味やクラブ活動などはありますか?
 写真を撮るのが趣味でした。人物や風景などを写真に収めて、文化祭などに出展したこともあります。最近はカメラで撮ることもなくなり、もっぱら携帯電話で写しています。(といって、インタビューの終わりに携帯で写真を撮ってくださいました(笑))
5.太陽の家で一番印象に残ったことは何ですか?
 38年間は、長いようで短かったです。亡くなった中村先生とは言葉を交わすことはほとんどありませんでしたが、亀川の町で「おーい、元気でやってるか」と声をかけられて、勇気づけられたのを今でも鮮明に覚えています。

 また初任給をもらい、亀川でお酒を飲みにいってカラオケを歌ったことも忘れられません。もらった金額は低かったけれど、自分で働いたことに対する報酬でお酒を飲み新しく人との繋がりができたことが、何より嬉しかったです。

6.退所するにあたって太陽の家についてひと言いただけますか?
写真 相談支援課のメンバーと 7日に退所しますが、38年間、職員の心暖かな支援によって現在までくることができました。別府を出て行くのは涙が出る思いです。しかし、今はこれまで歩んできた道程に一応の終止符を打って、第二の人生を強く生きていこうと思っています。

 今後は、地元佐賀の老人施設に移られる宮崎さん。「最近涙もろくなってしまって・・」と語る優しい口調。いつまでも穏やかな笑顔を絶やさずにお元気でいてください。

<宮崎征年さん>

 昭和13年1月27日生まれの70歳。佐賀県出身。昭和44年7月に太陽の家に入所し、金工科、木工科、プラスチック科、精機科、機材科などの授産科で働き、現在は第三授産センターに入所しています。

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