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太陽の家の名付け親で顧問である、作家の水上勉(みずかみつとむ)先生が、9月8日午前7時16分肺炎のため、長野県北御牧村の仕事場で亡くなりました。85才でした。 水上先生は1965年の太陽の家創立以前からご支援ご協力いただき、40年近くの歳月が過ぎました。同年10月5日に行われた太陽の家創立記念式典をはじめ、機会があるごとに何度も訪問され、障害者の皆さんを励ましていただきました。'95年10月8日に行われた創立30周年記念式典に、奥さまとご出席いただき、お元気な姿を見せていただいたのが最後となりました。 水上先生は、'63年中央公論に「拝啓池田総理大臣殿」を書いて、身障者問題と日本の対策の遅れを、'66年には故中村裕博士をモデルにした「車椅子の唄」を書き、障害者の自立とその問題を取り上げました。また、同年太陽の家東京事務所を開いて、募金活動や国の省庁との連絡や広報など、故中村博士とともに奔走し、今日太陽の家の礎を築いてくださいました。
また、水上先生とご家族ぐるみのお付き合いがあった中村太郎副理事長(大分中村病院院長)は、障害がある先生の次女直子さんやご夫妻との思い出を大分中村病院のホームページに記しています。 9月28日午後6時から東京都千代田区丸の内の東京會舘で、「故水上勉氏のお別れ会」が実行委員会主催で行われました。会には文芸や出版関係、俳優・女優など約500人が出席し、水上氏の死を悼みました。お別れ会実行委員長で日本文藝家協会理事長の黒井千次氏の挨拶に始まり、黙祷の後、詩人で日本中国文化交流協会会長の辻井喬氏、作家の山田詠美氏、女優の有馬稲子氏が思い出を語り、その業績を讃えました。水上先生、長い間ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。 生前、水上先生と親交のあったオムロン京都太陽株式会社顧問の吉松時義さんは、先生との思い出を次のように語っています。
当社創業年の7月に、水上先生に記念講演をしていただきました。水上先生のお話が聞けるということで、当日は全従業員が参加し、会場は総ての天井照明を点けて、お話を聞いておりました。すると、「このように電気を明るく点けてお話をしているが、この電気は福井の原子力発電所から送っている。原子力発電所でひとたび事故が起きると大変なことになる。この京都にも甚大な被害が出る。科学が進歩し、それを使うことは必要でしょう。でも無駄はしないことだね。自然の光があるならそれを使えばいい。一滴の水も無駄にせずに生かすことが大事だよ。」と先生は言われました。
先生の在りし日のお姿を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。 |
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| 水上先生が太陽の家の創立記念誌や中村裕先生を偲ぶ等に寄せてくださった言葉や、著書の中で障害者福祉などについて語る文章を抜粋してお贈りします。障害者や太陽の家に思いを寄せる先生の言葉は、心に深くしみ入ります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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