中村裕博士が亡くなって、今年で19年の年月が経ち、太陽の家でも実際に博士を知る人は少なくなりました。太陽の家にある書籍や多くの資料から、その信念やお人柄が偲ばれます。多くの業績を残された中村博士は、また多くの言葉を残しています。太陽の家の理念である「保護より機会を」「世に身心障害者はあっても仕事に障害はあり得ない」をはじめ、約20年経った今にも通じる「中村語録」を一部紹介します。
■わが国においては脊髄損傷患者の在院期間はほとんど数年以上にわたり、就職率はゼロに近い。脊髄損傷者の近代的なリハビリテーションは、患者が早く退院して社会復帰し、有給就職してこそ終わるものであることを強調したい。
(65年 現代外科学大系第44巻A運動器1) |
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■頸髄損傷者の職業リハビリテーションはまことに困難であるが、全く不可能ではない。医師やパラメディカルの人々が頸随損傷者のゴールを始めから「雇用」にかかげ、患者のMotivationを促進すべきである。
(79年9月 第11回医師卒後研修会講義)
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■なぜ身障者は一般社会から通勤できないのかと溜息がでるのです。大施設に身障者をつめこむ施設第一主義の時代はもう終わりにしたいものです。身障者の自立のための技術を深め、就労を促進し、保護より機会を与えるべく方策をたてねばなりません。
(74年11月 第2回障害者職業リハビリ研究会記念講演)
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■長年ずっと社会に生活していて、いきなりある時点でもう年寄りになった、障害者になったからといって、急に社会から離れ、どんなに冷暖房が整った所にいても、決して幸福ではないということを、私は太陽の家の運営をしていてよくわかります。施設にいることは、決して幸福なことではないとよく知っていてください。そういう意味で今後はだんだんと脱施設といいますか、いわゆる日本の施設万能主義は終わらねばならないと思います。
(79年7月 これからの福祉と教育 大分県小中学校校長会講演)
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■太陽の家は身障者の労働と日常生活のすべてが行われる総合環境である。したがってここには身障者について検討されなければならない、およそあらゆる種類の問題が集約されて存在する。
(69年6月 工芸ニュース第36巻6月号)
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■はじめは身障者だけでやっているのだということが誇りであったが、最近は身障者と健常者がまじった社会を作るべきだ、そして最後には太陽の家なんかなくなってしまえということを目標にしています。
(76年10月第13回九州地区肢体不自由教育研究大会講演)
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■これからの教育は、人間らしい人間を育てるようになる必要があります。その意味で福祉施設はただ身障者の世話をするというだけでなく、今後教育の場として人間的な情緒豊かな人を育てあげる場としての使い道があるのではないでしょうか。
(82年 教育と福祉 別府市教育委員会主催第4回文化講演会)
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■障害者は健常者以上にレジャー・レクリエーション・スポーツ活動を必要としている。たしかに近年記録中心の障害者のスポーツ大会は世界各地で展開されているが、競争的スポーツに参加できない多くの人が取り残されていることを忘れてはならない。
(84年 第1回国際障害者レジャー・レクリエーション・スポーツ大会報告書)
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■身障スポーツは他の機能訓練と異なり、自主的に本人の意志に基づいて行うものであり、身障者の健康の保持・増進と積極性・社会性を持たせる上で優れている。また、健常者は一般的に身障者の労働力を過小評価するきらいがあるが、彼らの能力を再認識させるにもよい機会である。
(75年 総合リハビリテーション第3巻第4号)
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■僕は、坂を登るのを手伝う時は、車いすの人に荷物を持ってもらう。そのほうが楽だからね。登りきったら自分で持つ。持ちつ持たれつの関係がいいんです。チャリティーの対象としてだけ身障者を見るのは間違いなんです。
(84年4月 UゆうFree Paper for University Student Vol.4 No.4)
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